ワールドカップ日本代表がんばった。
では、続きを。
20年前、当時18歳の私が体験した遠洋漁業の話。
大企業である大陽漁業(仮)所有の漁船、太陽丸(仮)は、北極海で操業していた。
船酔いは1ヶ月ほど続くことになる。
この間「食べては戻し」を繰り返す。
「船酔いで死んだ者はいない」
甲板員たちは、苦痛を嘲笑った。
網を入れる「操業」の間は、休みなく6時間交替で働く。
6時間働いて、6時間休む。
休むと言っても、ぐっすり眠れるわけがない。
6時間後の労働の為に食事を取って風呂に入り、ベットに入ってやっと、うとうとし始めた頃、交代のベルがなる。

北極圏では、太陽が高く上がらない。
夕暮れの状態が半日続く。
これが昼。
夜明け前の状態が半日続いて、これが夜。
太陽はゆっくり上下しながら、水平線を一周する。
白夜の間は、夕方の状態が一日中続く。
沈みそうで、沈まない太陽。
極夜の間は、夜明け前の状態が丸一日。
明けそうで、明けない夜。
方角と時間の感覚がおかしくなる。
加えて、6時間交替で働いていると、夜昼の感覚がなくなる。
そのせいもあってか、操業が長くなると、何十年もこの仕事に従事してきた甲板員でさえ、少しずつ心が荒んでいき、軽い欝のような状態になった。
朝食、昼食、夕食、夜食と、全てそれらしいものが用意されていて、食事だけが時間の感覚を保つ頼みとなっていた。
船酔いの間、時間が来ると食堂には行くが、すぐに席を立った。
食べ物の匂いで戻しそうになるからだ。
船には何時、誰が食べてもいいように、洋梨が置いてあった。
航海でのビタミン不足を補うためらしい。
船酔いの間、この洋梨で凌いだ。
食べるとそれなりに美味い。
戻す時もまた美味い。
2度、美味しいのである。
新米である私に甲板で与えられた仕事は、鎖の掛け替えと取れた魚の選別。
よく捕れたのは、赤い50cmくらいの魚。
甲板員は
赤魚と呼んでいた。

それから、
おひょう。
畳鰈(タタミガレイ)とも呼ばれるおひょうは、たたみ一畳分もあるカレイ。
大きいものは、たたみ2畳分、200kgもあった。
おひょうからは、高級縁側が取れた。

鮫が入ることも多かった。
6〜7mくらいあっただろうか。
時には10m近い物もあがった。
表面がザラザラしていて、素手で触ると擦り剥ける。
噛み付いたり、暴れたりはしない。
深海から揚がる魚は、全て死んでいた。
鮫は鰭だけを切り取って、あとは海に捨てる。
鰭はフカヒレになるのだ。
入港ボーナスには、フカヒレ手当ても付いた。
甲板員たちは鮫のことをアミーゴと呼んでいた。
魚を食べる魚を、友と見立てたのかもしれない。
あるいは、フカヒレ手当てのことからだったのだろうか。
鰭を切り取って海に捨てる作業は、後に私の仕事になった。
選別した魚は、他の甲板員が地下の工場で内臓を取り、3枚に下ろす。
その切り身をトレーに入れ、船底の冷蔵庫に積み上げるのが、私のもう一つの仕事だった。
冷蔵室までの道のりは天井が低く、何かのパイプが露出していてあちこちぶつけた。
ヘルメットは、すぐにブッチャーの額のように傷だらけになった。
冷蔵室は体育館のように広かった。
広い空間なのに窓が無いせいか、息苦しい閉塞感があった。
ここでは一人きりなので、独り言を言ったり、大声で叫んだりした。
いくら叫んでも、冷蔵室では全く声が響かなかった。
あれは、波を打ったような壁の形状のせいだったのだろうか。
それとも、零下の引き締まった空気のせいだったのだろうか。
涙を流す時も、ここだった。
新米である私の仕事は、外でも中でも氷点下での作業だった。
船内放送が響き、キャプテンが入港を告げる。
甲板員から歓喜の声が上がる。
操業開始から3週間経っていた。
2交替制のせいで、1日が2回あるような錯覚に陥るので、体感的には6週間にも感じられた。
1ヶ月ぶりの丘はグリーンランドだった。
続きはまた書きます。
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